介護というのは本当に辛いものです。これは経験した人にしか分からないことです。
ここでは、在宅介護をする上で心がくじけないようにする工夫について、私のこれまで7年間母の介護をしてきた経験をもとに記事にしてみます。
身内でする介護
私の場合は両親が同居していたので、母の見守りは父に頼んでいました。
母が料理をするのに台所に立つのがしんどくなっていたので料理などの家事手伝いをしていたのですが、単発の派遣などの仕事は請ける事が出来たのです。
母の肝硬変の進行と大腸がんの併発に加え、骨粗鬆症になってからは歩行も困難になったので、家事のほとんどと母の見守りをしていました。
父は腰を悪くしていたので、買い物に行く時の荷物持ちと車の運転はほとんど私でした。
食事の時の移動と紙おむつの交換、トイレまでの誘導をしました。母をトイレの便座に座らせる時とても苦労しました。
本人もとてもしんどかったと思います。
母が亡くなったのは冬の寒い日で心不全を起こしたのが原因でしたが、高齢者は暖かい部屋から寒い廊下に出る時やお風呂から出る時に心臓発作を起こしやすいそうです。

被介護者が出入りが楽になるようにトイレや廊下の空間を広くして、廊下や脱衣所が温かくなるようにする事をお勧めします。
介護で気を遣うこと
母が亡くなったのは二年前です。
母は明るい性格で活動的だったので、60歳までパート勤務していた職場の同僚やご近所、コーラスサークルのメンバーなど顔見知りや話し相手が多い方でした。
時々通院先で会う事もあったので、病院に行く日は身なりに気を付けるようにしていました。腹水がたまっていたのでお腹周りが以前より3周りも大きくなり、以前着ていたスラックスは全部だめになってしまったので、下に穿くのは動きやすい定番色のスウェットにしていました。
私も自分の持っているスカーフの中から母に似合いそうな物を譲ったり、マニキュアを塗ってあげたりして協力したものです。
認知症の高齢者が化粧をするようになってから症状が軽減したという話を新聞で読んだ事がありますが、他の人からヘアスタイルや着ている服が似合うと褒められると他の病気にも効果があると思います。どんな病気になってもTPOは必要です。
好奇心が強くて関心事が多かったのですが、病気になってからは新聞や雑誌などの活字を読む事が困難になったので、ラジオを聞いたりテレビのいろいろな番組を見るのを楽しみにしていました。
骨粗鬆症になってからは父と二人でバスツアーに行けなくなったので、テレビの旅番組を見てその時の思い出話に花を咲かせていました。
この事からも分かるように、病院に行く時以外は病気の事について一切口にしないようにする事が大切です。
最初は私も「お母さんは病気だから……」とか、「体に悪いからこれは食べない方が良い」と言っていたのですが、あまり言わないようになりました。
介護者が休みをとりたいとき
私の場合は母がしっかりしている方でしたが、心に比べると身体の方は日一日と弱くなっているのが目に見えます。365日一緒にいると、自分の無力感に陰で涙する事も多かったのです。
日頃本人の前で泣けない分、感動する話の力を借りてついでに泣く事もしばしばでした。
母が弱っていくのを見ても本人の前では努めて明るく振る舞う事が必要だったので、私にはちょっと大変でしたが、図書館で映画のDVDや好きなアーチストのCDを借りてきて鑑賞する時が、唯一休める時だったのです。
私は独身者なので、社会復帰をする時に少しでも役に立つように資格の勉強をしていました。一日に数十分だけでも勉強をするだけで気が楽になります。
介護に役に立つ栄養やアロマなども良いですが、介護に直接関係なくても自分が好きな方面の勉強をすると、より効果が上がるのかもしれません。
こういう時には友人や他の家族に話をする事も介護者には必要なのかもしれませんが、私の場合は話す事が出来ないほど疲れていました。
介護者の人は思い切って信頼出来る友人や家族に話すと良いと思います。介護中は外出する時に気が咎めるかもしれませんが、他の家族や頼める人がいる場合は旅行に行ったりしても良いそうです。
介護はうつ病のもとになりやすい
介護者はうつ病になりやすいので、自分の心を救う事が必要です。被介護者が良い性質なら尚更です。そうしないと共倒れになりかねないので、一人で気分転換する時間を確保しておきたいものです。
他のもっと苦労された方には母の介護は比較的楽だったかもしれません。
苦労した事もありましたが、貴重な年月を一緒に過ごせて良かったと思います。